久しぶりに一冊本を読んだ。
僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと
著者はダラムサラ(ダライ・ラマ法王をはじめ多くのチベット難民の人々が暮らすインドの都市)にあるメンツィカン(チベット医になる為の大学)に外国人として初めて入学+卒業を果たし、約10年をかけてアムチ(チベット医)になった。その経験を書いた本だ。
この本を通勤電車の中で座れた時に読んでいたのだけど、ダラムサラやメンツィカン、ヒマラヤの山々を想像するのは楽しかった。けれども時に胸が詰まって涙がにじみ、もどかしくもあった。大変な努力家であり、そうであるが故の反骨心と認めてもらいたいという顕示欲のようなものに読み進めるのがつらい時もあった。
著者のそんなところを読んでいるとある人を思い出した。その人と一度旅したとき、私はどんどん遠くなっていく背中を見ながら未海岸沿いの道を歩いていた。今思えばその前日の私の振る舞いに怒っていたのだとわかるが、それでも一度も振り返らずにどんどん差を広げて歩いたのはその人の本質でもあったのだと思う。翌日山に登ったのだが、私は本州では見たことのない高山植物や野草を見過ごすことができなくて写真を撮っては足を止めるのでまたしても彼は尾根のはるか先に米粒になって見えていた。休憩で顔を合わせた時、「もしかして登頂できなくてもいいと思ってるだろ?頂上にたどり着けなかったらまた登りに来なくちゃならないじゃないか」と真顔で言っていた。確かに、その日体調が悪かった私は頂上を踏むことにはこだわっていなかったし、体調のことがなくても頂上を踏むことが登山の目的にはならなかっただろう。ナンセンスだろうか、赤の他人だけれど彼は著者と同じ苗字だった。読むほどに彼との共通の質、のようなものを著者に感じていた。
本の中にチベットの薬草のひとつに"ヒマラヤの青いケシ"が出てくる。「メコノプシス・ベトニキフォリア」だ。大阪での花博の目玉としてコマーシャルでも映像が流れた。当時社員旅行で花博に行かせてもらえたので会場で実物も見た。その頃青い花というのは花屋でもめったにお目にかかれなかったので青いバラ同様憧れの花だった。その後スコットランド西岸のナショナルトラストが管理する庭園でもたくさん植えられているのを見た。今では園芸種として種も手に入る。ヒマラヤと言えばスコットランドの庭園でみた巨木のシャクナゲも彼の地から持ち帰って交配された園芸種だそうだ。個人のお屋敷なのだが、庭というより山であり手入れをするガーデナーが何人も働いていた。
私はほんの1年半外国で暮らしてみただけだけれど、うなずけることがたくさんあった。チベット語を話せて互角に勉強ができても小学生の気分にさせられたとあったが、英語が自由に話せないことで私は自分を赤ちゃんのようだと思った。笑うか泣いて知らせるしかない赤ちゃんである。アルバイトは誰でもしてたことだが、おうおうにして若い子の方が潤沢な仕送りで裕福だったし出稼ぎ外国人みたいな気分になることもあった。一番恋しかったのはお風呂。思うように使うことのできない湯水だった。それに比べれば彼の地での学生としての10年は想像を絶する。
ギュースムという経典の暗誦試験の話は興味深かった。ハイ体験をするとき、というよりそれを何度もすることでたぶんその行き来が可能になるのではないだろうか。著者がポカラ宮殿を見たように、アムチが脈診から感じる能力はその境界を超える能力に由来するのではないだろうか。(記憶された分類の知識とは別に)
話を聞くこと、西洋式カウンセリングに対しての考え方もうなづけるところが多い。西洋式カウンセリングがもてはやされているけれど、むしろ前者の方が言語的にも日本人にも向いているのかもしれないとも思う。
もうひとつ、昔体験したことが("たまたま役に立った"のではなく)今していることの準備だったという話がいくつもちりばめられている。そのことは自分にも思い当たることがたくさんあり、下手すると無駄なことはひとつもなかったという事実に気づくほどに"用意されていた未来"があることを否定できなくなる。
信仰と科学と医学と、まだまだ著者の旅も葛藤も続くのだろう。同じ年に生まれ、同じ頃海外に渡ったのにこの10年で私は何もなしえていない。同じ苗字の彼からの年賀状を見る度にも感じること。相変わらず彼は尾根の遥か先を歩くどころか最近は走っているようだ。自分もこれからの10年はもう少し頑張りたいと思う。
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