のだめの最終巻をやっと読んだ。
パリ編に入ってからの話が特に好きだったけれど、最後はだめになってしまうのかと読み進めるのが怖かったのだ。
才能に惹かれ、お互いを新しい世界へ導く存在であり続けられるかなんてハードルが高すぎる。
でも ああ、良かった。読み終えてほっとしている。
シネマチャンネルでNYの恋人を見た。
受け付けられない恋愛映画がたくさんある中で、あまり深くないストーリーだけれどまた観てしまったのは何かしら共感できる部分があったのだろうとしばし考えてみた。
この映画を一言で言うと"年上の男性(あるいは正統派?)との恋"の魅力でしょう。
ホスピタリティを感じられるってとこですかね。
先週のコンサートでのこと。
教授と大貫さんの関係や大貫さんが語った"6年も恋人を待てるかどうか"の話(30代は待てない心境だったけど今はまた違うと言う)を聞いたりしながら、お二人は"友人"だったから今も同じステージに立って夫婦漫才ができるのだと私は勝手に理解して妙に納得してしまった。
人と人のケミストリーとでもいうものは、パートナーが必ずしもベストなかたちとは限らないし、ベストな形がなんなのかはその人同士の組み合わせによるのだと思う。
一瞬でわかるときもあれば、ゆっくりと変化していくこともある。
まあ実際頭ではわかっていても心は執着してしまうので見極めるのが難しいのだけど。
その少し前のこと、あることがきっかけで内からメッセージが湧いて来た。
"私は自分が子供を産まないことを許す"というものだった。
はじめは意外だったけれど、なんども繰り返すと腑に落ちた。
20代ずっと考えていたことは"人はどうして生きているのか?"だったのだけれど、30代で考えなければならなかったことは"私は女性という生をどう生きるのか?"ということだった。
そして結婚しないことよりも子供を産まない(産めない)ことの方が社会的にも精神的にも受け入れる上では難しい問題だったのだ。
だから自分で許す必要があったのだと思う。
しかしその問いももう終わり。そろそろ新たな問いが生まれてくるはず。
一年草は実を結び種を作り生を次へ託すけれど、その一年草も年中温暖な気候に順応すると種を結ばなくなるのだそうだ。メーテルリンクの書いた植物の本にそんな様なことが書いてあった。
私自身を植物にたとえると多年草化した一年草ではないかと思ったのだ。現代においては種を結ぶ必要が無いと言えば無く、季節に対しても鈍くなってしまったのだから。
けれども季節がないということは、逆に言えば季節に合わせて生きなくても良いということ。
いつ花を咲かせようと、何度咲かせようとかまわないのである。
また別の言い方をするなら、これから咲かせる花は冬に咲く花になるのかな。
などと想う今日この頃。
今回は行けないと思っていた教授のコンサート、お蔭様で行かせていただきました。
ありがとうございます。
冒頭out of noiseの4曲に続いて「美貌の青空」を弾いた教授に驚いた。
今日の教授は何かが違う?
そう感じて頭の中はいろいろな言葉(形容詞)を捜していた。
続いての曲が「水の中のバガテル」。4月のツアーで聴きたかったけどきけなかった曲。
ドラマチックでも華やかでもないメロディだけれど、じわじわと涙腺がゆるむような、不思議な曲。
TVで聴いて以来かなり好きです。
そしてFlower is not a Flower。
これは私選Best5に入る曲。
「ヨーロッパ公演に行って演奏が壊れてきた」という教授。
emotionalとかgroovyというほどやすっぽくないのだが、自由で深いうねりのようなものを感じた。
大貫妙子さんの歌もあり、クリスマスに彼女の歌声はぴったり。
そして詞をつけたというTangoは(今までとてもBossa novaチックだと思っていたのだけど)
初めてTangoに聴こえました。(失礼)
アンコールでなんと「ラストエンペラー」。(今日の選曲の感じからは弾かないかと、)
そして大貫妙子さんのアンコールが「突然の贈り物」だとは、、。
この曲は私の中では今でもHさんと結びついている。
彼女に贈ったカセットテープに吹き込んだ曲はどれも普段聴くことができなくなってしまった。
だから思いがけず聴けて嬉しいのと涙を抑えられなくて困るのとで---
締めくくりにMerry Christmas Mr. Lawrence
もう何も言うことありません。
先週のこと。
近所のお庭の蝋梅の匂いに足がとまった。
冬の花木だと知っていたけれど、こんな時期に咲き始めるのだとは知らなかった。
山茶花よりも後だったんだ。
花としては地味だけれど、その香はなんとも言えず清清しい。
そのことを書こうと思っていたのにあっという間に一週間が経ってしまった。
先生が亡くなられてから一ヶ月、重かった口から言葉をこぼしたのはこの花だった。
身近な人の死によって魂が経験することは、共通の友人やたとえ家族であっても分かち合うことはできないと感じている。
ひとりただその孤独に耐えるしかないのだと思う。
先日の記事だけコメントを受付ないのは、まだ"語り合える"心境ではないということなのでご容赦ください。
人はどこまでも個であり、私はその孤独を以前より愛しているのかもしれない。
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