こどもの音楽再生基金 音楽と楽器の力で、こどもたちに笑顔を。
27日坂本龍一さんのチャリティーコンサートに行かせていただきました。
チャリティを捻出するために制約の多い中このコンサートが実現されたことにかかわった人々のWillを感じました。
YAMAHAのホールはピアノの高音鍵盤の音階でなくタッチによって起きてしまう音や観客の咳までよく響いてしまう素敵なホールでした。
細野さんを正面に見るというお席で楽しませていただきました。
前半仕事の疲れもありうとうとしてしまいましたが、シュタイナー曰く寝ていてもあちらの世界に遠征しているだけだそうですので、あちらで忙しかったということに。
私の音楽との出会いは幼稚園。
カスタネット、ハーモニカ。
教室にあった1台のアップライトピアノ。
鼓笛隊でマーチングバンド用鉄琴の縦型のやつを担当「ボギー大佐」。
祖母が歌ってくれた七つの子。
テレビで流れるみんなの歌。
父の友人の奥さんがやっていたJazz喫茶あ~さん。時々連れて行かれてココアをごちそうになったり。
ベースがボンボン響いてた。
友達が通っていたエレクトーン教室に通うようになったのもその頃。
一番最初に弾いた曲らしい曲はオブラディオブラダ。
その後も知らずにカーペンターズや讃美歌?とかにも触れて。
YAMAHAさんにはとてもお世話になってましたね。
小学校に上がると、祖母が三味線を習っていたので黒田節とか・・会津磐梯山は~しか覚えてないなあ。
最初にお年玉で買ったチケットは新星日響の窓際のトットちゃん。買ったのは銀座の鳩居堂。上野文化会館の4階席。
中学で吹奏楽部に入りOboeはやはり学校の楽器を使わせていただいていました。
最初はプラスチックの楽器でキーに緑色の錆が付いてたりして・・今でもあのキーを磨く乳液の臭いを覚えていたり。
翌年は先生が部費で奮発して買った中古で60万もしたというSonoraを吹かせてもらいました。
プロの先生の指揮で演奏中のhighを体験したのはこの時。
同時に緊張しいでソロの出だしに苦労したのでリードが割れたりする悪夢を未だに見たり。
家にVictorのコンポなるものが導入され、レコードを買ったり、FMエアチェックしたり、レコードがCDになってフィルムコンサートに通うように。
ソロの教授との出会い(初めて聞いたというだけです)はまさにFM東京だったので、27日の夜演奏されたSelf Portraitには感慨深いものがありました。
今こうやって思い出してみると音楽の雑食性はこの頃までに培われていたんだなと。
皆子供のころを思い出して、音楽の恩恵を受けたと思う方はぜひぜひご協力ください。
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